大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和36年(わ)38号 判決

被告人 杉村サダメ

明四四・一〇・二七生 農業

主文

被告人を死刑に処する。

押収してあるデイプテレツクス乳剤瓶一本(昭和三十六年押第二三号の一)、農薬茶色瓶一本(同号の二)、農薬黄色瓶一本(同号の三)、ヤクルト小瓶一本(同号の四)、皿一枚(同号の八)及び鯛味噌箸付小皿一枚(同号の十一)は、いずれもこれを没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、熊本県鹿本郡川辺村鍋田(現在山鹿市)において、石屋であつた猿渡己之平、同シガの長女として生れ、川辺尋常高等小学校を卒業した後、約二年間生家の近在の農家に奉公したり、家業を手伝つたりしたが、十九才の昭和五年四月、当時肩書住居地において、鳶職をしていた杉村登の許へ嫁入り、爾来約三十年間同所に住みついてきたものであるところ、その間大酒家の夫を抱えて自ら日雇い人夫をしたり、一時の小商いをしたりしてどうやら毎日の生計を維持していたが、戦後の昭和二十五年二月、一人娘アヤ子の婿として杉村美敏を養子に迎えて同居した上、娘夫婦と共に、先に農地改革により取得していた田三反三畝位の耕作に努めたが、依然として日々の家計が苦しい状態のまゝでいるうち、同二十八年六月夫登が病死し、それと前後して実父母も失い、更には同三十二年九月頃娘夫婦とも田二反三畝、畑一反を分ち与えて別居するに至り、翌三十三年五月頃には右別居の頃から被告人方に出入りしていたヤクルト販売業志垣権蔵と内縁関係を結び、同年暮頃には被告人方において同人と同棲することゝなつた。ところで娘夫婦との別居以降、財産分けのため被告人の家計は従前より一段と苦しくなる一方、右志垣からは、同人がその収入の殆んどを当時熊本大学在学中の次男の学資金に充てる関係上、纒つた金品を貰う機会は皆無に近いため、次第に日々の生活費にも事欠く仕末となり、従つて親族、知人等から次々と借財することを余儀なくされ且つ近隣の商店からの買掛金も嵩み、昭和三十五年十一月末頃には宮崎末喜外四名からの借金の元利合計が約十五万四千八百円、村上八百屋外四店からの買掛金合計が約一万八千三百円にもなるに及び、田舎の慣習として年末にはせめて借金の利子だけでも支払わなければならず、とりわけ生来小心な反面勝気で見栄つ張りの性格でもあるところから、差当り少くとも三万円程度の現金の入手方を当てもなく独り渇望苦慮する余り、遂に同年十二月初め頃、かねて同三十四年度及び三十五年度にそれぞれ農作物の消毒に使用した後、その毒性の強烈さを熟知しているところから、それが孫達の手に触れることのないよう、同年十月頃自宅二畳の間の長持横に隠し保管してあつた残液約十六CC在中のデイプテレツクス乳剤瓶(前同号の一)、残液約二十CC在中のメチルパラチオン(化学名ジメチルパラニトロフエニルチオホスフエイト、以下同じ)即ちホリドール乳剤瓶(同号の二)及び残液約八CC在中のマラソン乳剤瓶(同号の三)を使つて、他人に農業中毒を起させ、苦悶する隙に乗じてその所持金を強取すべく企図するに至り、秘にその機会を窺ううち、

第一、同年十二月六日午後一時頃、近くに住んで殆ど毎日のように被告人方に出入りしいる亡夫登の実母杉村クラ(当八十一年)が来訪したのでその接待中、同女がヤクルトを飲む意思のあることを知るや、かねて同女が内職をして小金を貯めており、少くとも一万五千円位は片時も肌身離さず持ち歩く習癖のあることを熟知していたところから、当日も相当の現金を所持しているに違いない旨即断して、こゝに右企図を実行に移し、その結果同女が老令且つ血圧の高いことゝ相まつて中毒死するかもしれないことを充分予知しながら敢てこれを意に介せず、自宅二畳の間において、秘に前示ホリドール乳剤瓶から直接致死量を越える同乳剤原液少量を当時偶々被告人方にあつた小瓶(前同号の四)入りのヤクルト約三十CCに注いで混入した上、さりげない態を装つて「ハイ、ばあちやん」と言い乍ら、隣室八畳の間の火鉢の横に坐つている情を知らない同女にこれを差し出して、即時その場で一気に全量を飲用せしめ、そのため間もなく隣家である同女の弟杉村玉市方において同女が中毒症状を呈したことを知るや、直ちに右玉市方に赴き、同女の介抱にことよせて既に失神苦悶中のクラの懐等を物色せんとしたが、常日頃みなれた同女の手提げが見当らず且つ偶々近所の村山トキエ等が来合せてクラに附添つていたゝめ意の如く物色できず遂に金員強取の目的を果さなかつたが、同女をしてホリドール中毒により同日午後三時前頃同町千百七十五番地の同女方自宅において死亡せしめ、

第二、続いて同月十四日午前十時頃、被告人方の裏隣に住み被告人とは毎日のように往き来している間柄の同町千百四十六番地嘉悦タケ方に所用で赴いて同家板の間で雑談中、偶々同女と二人きりになつた際、かねて同家ではその三日前長男の結婚式があり、そのため同女(当四十五年)が相当額の祝儀金等を所持しているに違いない旨独断し且つ前示杉村クラに対する犯行が所期の目的を遂げなかつたにも拘らず医師の誤診もあつて発覚しなかつたところから、この際同女をクラ同様中毒死させても前示企図を実行に移すにしかずと決意し、タケに対しその好物の切出肉が自宅にあるから食べにくるよう勧めて様子をみたところ、同女が持参してくれるなら喜んで食べる旨返事をしたので直ちに自宅に立ち帰り、水炊きしてアルマイト製鍋(同号の五)に入れてあつた食べ残りの切出肉五十匁位を小皿(同号の八)に移し、その上に前同様の方法で杉村クラの場合とほゞ同量のホリドール原液を注入した後、箸をもつてホリドールが各肉片に万辺なく行きわたるようかきまぜた上、その小皿を持参して再びタケ方に引返し、板の間の炬燵に入つたまゝ被告人を待つていた情を知らない同女に提供して即時その場で食べさせ、そのため間もなく同女が中毒症を起して苦悶し出すや、介抱にことよせ失神状態にあつた同女の懐を物色して財布(前同号の六)を発見したが折柄その場には多数の附添人が居合せたゝめ遂に強取の機会がなくその目的を果しえなかつたが、同女をして右ホリドール中毒により同日午後三時五十分頃、同市二の丸町国立熊本病院において死亡せしめ、

第三、更に同月十八日午後一時頃、被告人方に売掛金の取立てのため来訪したかねて顔見知りの衣類行商人村上敏子(当四十六年)から代金の釣銭を貰うに当り、同女がポケツトから取り出した財布(前同号の九)の内部に少くとも一万四、五千円はあると思われる札束を瞥見するや、年の瀬も迫り前示の各犯行も所期の目的を果すに至らなかつたところから、この際同女を前同様中毒死させても前示企図を遂行することに意を決し、お茶でも入れる熊を装つて同女の居る自宅八畳の間を出て隣の二畳の間に至り秘に先に昼食のおかず用に買い求めていた鯛味噌の薄箱からその十分の一位の分量を有り合せの箸をもつて小皿(前同号の十一)に移し、その上に前同様の方法で、杉村クラ、嘉悦タケの場合とほゞ同量のホリドール原液を混入してかきまぜた上、情を知らない敏子に対し「これは鯛味噌だけん食べんな」と言葉巧みに勧めて差し出し、自ら箸をとつて小皿上の鯛味噌の十分の八位の分量を同女の掌に乗せてやつて即時その場で食べさせ、食後間もなく同女が隣家の嘉悦ユキエ方に行商に赴くや、直ちにその跡を追つて同家に至り、同女が間もなく同家三畳の間で中毒症状を起して苦悶し始めるに及び、その場に居合せたユキエ等が或は急を知らせに走り或は介抱に右往左往して敏子の身辺に人気がなくなつたその隙に既に失神状態にあつた同女の上衣ポケツトの前示財布から同女所有の現金一万三千円を抜きとり、もつて所期の目的を遂げたが、同女に対しては一時危篤状態に陥る程のホリドール中毒症を与えたに止まつて死亡せしめるには至らず、

第四、同月二十八日午後二時頃、被告人方に仕立上りの正月用の着物を届けに来た奥村磐雄から、同人の妻で被告人とは過去三十年来懇意にしており月に四、五回は出入りしている衣類行商人の奥村キヨノ(当五十一年)も磐雄の跡から直ぐ来訪すべきことを聞知するや、同女と数日前に会つた際同女が年末には集金に廻る旨話していたのを思い起して当日同女が大金を所持しているに違いないと信じ込み、それに加うるに前示第一ないし第三の犯行も未だ発覚しないまゝであること及び先に前示第三の犯行により村上敏子から強取した金員も既に借金払い等に使い果したばかりか年の瀬も迫つてなお早急に少くとも一万円位の現金が是非とも必要である折柄その当てもないことを彼此思い併せた結果、キヨノを中毒死させても前示の企図を実行すべく決意するに至り、予め自宅二畳の間で秘に蓋付丼(前同号の十四)に入れてあつたモロミ漬けの食べ残りを箸で一摘み小皿(前同号の十一)に移し、その上にこれ迄と同じ方法で、ほゞ同量のホリドール原液を流し込んでよくかきまぜた後、間もなく到着した同女に対し、自宅八畳の間において「あゝたは刺激物はいかんだつたね、近所から貰つたのがあるけん、それをあげよう」と言葉巧みに右モロミ漬けを盛つた小皿を持ち出し「これには茄子も入つとるけんおいしかよ」と言い乍ら自らそのモロミ漬けを箸で摘んで同女の掌に載せてやり、即時その場でこれを食べさせ、そのため同女が間もなく同所において中毒症を起して苦悶し始めるや、同女に附添つていた右磐雄等が医者等を呼びに外へ出払つた隙をねらつて、既に失神状態にあつた同女が先に苦しんで脱ぎ捨てゝいた前掛けのポケツト内から同女所有の財布一個(前同号の十二)を探し出し現金を強取しようとしたが、予期に反し僅か十五円位しか在中しなかつたゝめ、その目的を遂げなかつたが、同女をしてホリドール中毒により同日午後五時頃同所において死亡せしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件各強盗殺人罪、同未遂罪について被告人は犯行当時心神喪失或は耗弱ないしそれに類する異常な精神状態にあつた旨主張するけれども、被告人が本件犯行に至る迄の経過、動機及び手段方法並に本件各犯行を前後四回に亘り反覆遂行した過程と当公廷における被告人の言動を仔細に総合検討した上、更に志垣権蔵及び杉村アヤ子の当公廷における供述と医師清田一民作成に係る被告人の精神鑑定書を併せ考究すれば、被告人は本件各犯行当時性格的に自己顕示性と無情性の異常傾向を有したことは認められるが、それとても法律上是非の弁別能力及びその行動能力に支障を来す性質、程度のものでなかつたことは、これ亦充分に首肯できるところであつて、所論は結局本件犯行の各特殊性を縷々誇大強調した結果に外ならず到底当裁判所の採用し難いところである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 安東勝 松本敏男 鍋山健)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例